TOP Recently  BBS

徒然なるままに(68)

〜 長月 〜 二千六年


9月18日(日)

 

そしてここに帰ってくる。

長らくご無沙汰しておりました。


入社以来の初体験。

何も予定を入れない3連休。


洗濯して、掃除して、メシ作って、車乗って。

あれもしなきゃ、これもしなきゃの無い時間。

欲しいものも、やるべきことも無い時間。

ふわふわと宙ぶらりの時間。

ただ過ぎていく時間。


手塚治虫の「ブッダ」を読み続け、

惰眠をむさぼる2日間。

ふと思い出したようにジムに行き、カラダに最低限の喝を入れる。

ホタテとほうれん草のクリーム煮、秋刀魚の蒲焼、豆腐入り豚にらほうれん草の卵とじ、めかぶ、キムチ、納豆・・・etc.


急にミスチルの「Simple」 が聞きたくなって、夜中にTSUTAYAに行って、「DISCOVERY」を借りて、そのまま明け方4時まで家出。

大阪・名古屋と違って、真夜中の湾岸沿いにやんちゃな兄ちゃん達がいなくて、安心な反面、寂しさも覚える。もしやとは思ってたけど、ここはどうやらそういう街ではないらしい。


・・・

生きることを楽しむことと、

生きるためにすることと、

それ以外のこと。


いかに、ひとつ目とふたつ目の距離を近づけるか。

もしくは一致させちゃうか。


・・・


確実にどうでも良いことと、

実はどうでも良いことと、

意外とどうでも良くないことと、

目を背けたくなるほどどうでも良くないこと。


ふたつ目とみっつ目が混じりすぎてて分けられず、

結局はどっちもすごく大事だったりする。

その混沌がよっつ目のヒントだったりするからたちが悪い。


・・・


結局、 未来には「選択肢」など存在してなくて、

あるのは「今なにをするか」を決断するかだけで、

その積み重ねが自分を動かしたり周りを動かしたり・・・

そうやって通り過ぎてった「あるポイント」を、

実は 「分岐点」だったのだと後から気付くだけ。

そう、遥か向こうに選択肢のように見えるものは、

今日何を選ぶかの積分に過ぎなくて。

「そのとき時代が動いた」かどうかは、後から見た結果論に過ぎなくて。

ただできるのは、小さな意思でちょっとずつ「今日」を動かすだけで。

ただ、その動かせる方向も距離も、実はそれまでの自分の生きてき積分結果が導き出すひとつの結論に過ぎないのかもしれなくて。

全ては繋がっている。



人生は劇的に変化したりしない。

ただ積み重ねるしかない。

って、結局はやるしかない。

どんなことでも良いから。

たぶん何かに繋がるから。

ただ、明確な意思を持って行った方が強いってこと。

人は・・・とても弱いから。


そうやって、積み重ねつつ、大事なものを探しつつけて・・・


ちゃんと探したからこそ、見つかるのはとてもSimpleなものなのだと。

そこにちゃんと繋がっていく人生なら・・・悪くないなと。




(・・・徒然なるままに。)


   
 

 

<BACK  NEXT>


<HOME