TOP BBS

徒然なるままに(79)

〜 長月・神無月 〜 二千八年



10月下旬 某平日  


こんなん言われてしもたシリーズ(2)


歳が7つ下の女の子から・・・

「塩爺(しおじい)〜」

(爆×1)

最近、めっきり老けてきてるらしい。



歳が8つ上の女性から ・・・

「なんか、最近、乾いてますよね。」

(爆×2)

もはや肌や諸々潤いも無いらしい。



歳が3つ下の近々結婚する子から・・・

「ふんっ、結婚もできないくせに。」

(爆×3)


・・・もう、好きにして。


10月下旬 某休日  
久々に母と電話。

「あまりにも誰も(子供達が)連絡してこないから、
 そろそろ、オレオレ詐欺に引っかかりそうやわ。」

と、脅してきた。

大丈夫。

「息子を語るヤツから電話があった時点でそいつは詐欺師やから。」

と、アドバイス。

どんだけ親不孝な息子達。


そういえば1泊2日以上実家にいたことすらもう3年半くらいないかも(汗

しかもだいたい年に1回。

今年の正月は海外逃亡せず4年ぶりに実家か・・・

10月下旬 某休日  

カラダがダルイ。

酒をやめたことにカラダがついてこんだけかと思ってたら、

日に日に落ちていく体力と気力。

「頑張らなぁ〜・・・」と踏ん張るも、

12時間以上働くと気持ち悪くなる。

16〜17時間働いても気力がもってた頃が懐かしい。


不調を感じてたからこそ、

果物と野菜多めのウチメシを中心に、

月に22回とか呑んでた酒を、月10回ほどに減らし、

夜は早く寝るように・・・

にもかかわらず、落ち始めた体力は戻らず。


ついに発熱。

唸りながら寝て12時間で微熱にまで戻して、また働く。


休日はちょっとウチで集中してやりたいコトもあり、

カラダがダルオモなんと腰痛も合わせてで、

ここ1ヶ月、休日はほとんどウチから出んようになって。

ひたすら内に内にってせいもあるけど。


なんか、

「ただ生きてるだけなんやないか」と、

足元がなくなるような不安に一瞬襲われて、

けど、ただ生きるだけの何が不安なのかも分からんくて。

それだけのことがホンマに難しくて、

それだけで結構立派なことやとなんやと自分を安心させる。

こんな歳になっても、まだ迷うんやなと。


今回のネガティブスパイラルは抜け出すのに時間かかる。


先週、アホほど部屋中を掃除してキッチン周りを磨き上げ、

一人の時間を増やしたおかげでアタマは落ち着き始めてはいるものの。


頼む、誰か、この長引く微熱と腰痛を・・・


10月中旬 某休日  

めずらしく早起きしたらめちゃめちゃ天気がよくて。

寝起きですぐクルマでお気に入りのパン屋に走り、

チャパタのベジタリアンサンドと牛乳を購入。

ネパールのスーパーで買ったチャイを煮出し、

ベランダの特等席でのんびり日光浴と朝食。

だんだんと意識がはっきりとしていく。


昨日は本当に”何もしなかった”一日。

金曜夜に結構呑んで、朝方帰って来て寝て、

昼に起きて、ラーメン食べて、寝て。

夕方起きても二日酔いが気持ち悪くて、

ただぼ〜っとベッドの上で放心してて、気付いたらまた寝てて。

夜に起きて、パスタ茹でて食って、またベッドの上で放心して。


最近、酒が理性と自制心と意識と記憶を奪う。

むき出しの自己。

襲ってくる嫌悪感。

酒を呑めば呑むだけ、

しゃべればしゃべるだけ、

いくらでも自分を嫌いになれる。


誰のことも見ようとしてない自分が鏡の向こうに見えて。

人の気持ちなんて実はどうでも良くて、

結局、優しいフリをして自分のことしか考えてない、

あまりにもくだらない自己中な自分が見えて。

いくらでも自分を嫌いになれる。


そんでもって、自分のカラダも気持ち悪くさせる。


はっきりしない意識。

アタマの中のどこかが壊れたように。

テレビも、音楽も気持ち悪くて。

一日中部屋から一歩も出ず、無音のまま放心。

で、まどろみのまま、また眠る。

どんだけでも眠れる。


”何もしない”ができてしまうと、

これまで何を焦ってあくせくやってたのかと不思議に思う。

何もしなくても生きていけるんじゃないかと錯覚に陥る。


ま、一日で十分やけど。


さて、実に天気が良い。

腰が痛いからゴルフとジムとフットサルと登山はできないとすると

・・・洗濯と掃除して、散歩がてら髪でも切りにいこうか。


10月上旬 某休日  

どっかの消費者金融のCMのように、

「バランスが大切」と、つくづく感じる。

ガムシャラにやってきて、どうもカラダがついてこんくなって、

根本的に見直さんと、この後が続かんのやないかと。

肉体的にも、精神的にも、もちろん金銭的にも。


酒を呑みたいと思わんくなり始めたのもその兆候か、

カラダがおかしいのかと思って、1ヶ月程呑む回数を減らしてみた。

でも、たまに呑んでも、ビール2杯でもうそれ以上は受け付けんくて。

それ以上呑むと、喉の奥がアルコールを追い出そうとキュッとなって。


カラダが限界なんじゃなくて、

ココロが酒を拒否するときがある。


グイッっと呑みたい。とか、

ほろっと酔ってしまいたい。とか、

いっそ呑まれてしまいたい。とか、


いつも常に傍にあったそんな感情がどこかに消えて。


仕事のパフォーマンスとか、翌日の責任とか、自分のカラダとか、

その他諸々ちゃんと考えなあかんことの方が気になって。


一時的なもんなんやとも思う。

たぶんこれまでのあらゆる行動への反動で。

いずれそのまた反動が起きて同じように呑みだすのだと。


ただ、もうあの頃のように、

むちゃくちゃに呑まんくてもよいことを、

どこかで知ったんやとも思う。


「夜」より「朝」を、

「呑む」より「食う」を、

「外食」より「自炊」を、

「タクシー」より「終電」を、

「ヴィダー」より「果物」を、

「シャワー」より「お風呂」を、

「コンビニ」より「スーパー」を、

「栄養ドリンク」より「休息」を、

「寝つづける」より「ちょっと歩く」を、


全てをそうすることも出来んくても、

バランスよく、ちょっとずつそうしていけたらと。

どこかでちょっとだけ「健全」を望み始めて、

いつかのそんなことに回帰を求めてたり。


また酔いたくなる日までしばし休憩と回復を。




・・・これまた余談。

酒をあんまり呑まんくなってから、

カラダもアタマもかなり疲れやすくなってる。

アルコールでごまかしごまかし麻痺させてやってた部分が、

それ無しではやってかれへんくなったんやないか・・・とか。


・・・ちなみにまだなんとか手は震えてないけど。


10月上旬 某休日  

9月に山に登った時に膝を痛め、

なかなか治りが遅いのは歳のせいかとぼやいてるうちに、

先週のゴルフで腰を痛め、

しゃがむと「はうぅぅ」って、鈍痛が走る。

ウチに盗聴器を仕掛けられたら、

きっと録音されるのは

「あぁっ!」とか、

「んっっ!」とか、

「いいいぃ・・・」とかとか、

文字にすればかなりせくしーな声ばかりで。


そんな中おこなわれた会社のサッカー大会。

若手が手を抜けるわけもなく、限界を超えて走った結果、

もはやウチで出てくる声はせくしーでもなんでもなく、

「い〜てててててててて・・・」

「んとこしょ〜」

「ふんっ」

と、まぁ、おじいちゃんな言葉ばかり。


ついには「シップ」「痛み止め」「腰固定帯」まで必需品に。


いつのまにか、限界を超えてカラダを動かすことも減ってたんやと。

打ちっぱなしとか、筋トレとか、スイミングとか、

自分の限界内でほどほどにできることばかりになって。

誰かと一緒にやるからこそラクに越えてしまうラインもあって。

そうやって、自分の限界を常に上げたところでキープしとかんと、

こうやって、たまに越えると自分から発熱される熱量に、

自分自身の体が耐えられんくなってたりもする。


久々のサッカーを終えて、

すぐにビールと餃子をかっくらったせいもあるとはいえ、

体内からの熱が冷めず、そっからまる1日ぼや〜っと。


こりゃ年が明けたらフットサル再開やなぁ・・・と。


ただ、部長から

「みんなの分、ビール買ってきてくれ。俺は車やから呑まれへんけど。」

という言葉に、

「じゃぁ、部長は発泡酒でいいですね!」

と元気に間違えたのは、ただの余談。


・・・”ノンアルコールビール ”と言いたかったのだが。


9月上旬 某祝日  

天気が良くて。

ミニコンポのスピーカーを部屋の外に向けて。

ベランダの指定席。

手すりというか、80センチくらいの幅のところにゴロンと寝転んで。

牛乳1リッターパックを側に。

先週新しく買った「HOLLY COLE TRIO」のCDをかけて。

今日は工事もお休みのようで、雑音も無く。

セミの最後の余韻のような鳴き声だけで。


空は澄みすぎず、青く。

ゆ〜っくりと流れる雲は薄く透きとおって。

でも積乱雲もちっちゃく延びて。

秋空になりそうな夏の空で。

角の取れたやわらかい風がゆっくりと吹いて。


誰にせかされるわけでもなく。

誰にとめられるわけでもなく。


ただ流れてくもののなかで流されて。


いまはそれでいいやって。


ごろごろごろごろごろごろ。


夕方。

昨日のアルコールが抜けんまま、

とりあえずチャリンコで目黒川沿いを代官山に向かい、

てびねりで茶碗を一客こさえて。

その足で渋谷の東急ハンズに行って、

クルマのホロのほころび補修用のボンドとかとか買って、

ぷらぷらと、知らない道、クルマじゃ通れん道、住宅街・・・etc

暮れなずむ街をチャリで走って。

最近チャリが好きで。

天気と気候のおかげ。

走っても汗をかきすぎず、風も気持ちくて。

ぷらぷら、ふらふら。

足がぷるぷるになるまでこいで。


それでもアルコールが抜けんくて。

いっそ体内の水分入れ替えたれ。

って、ジム行って、 泳いで、サウナでどっぷり汗かいて。

ブリの照り焼きと、豚と水菜を茹でてポン酢でさっぱりと喰い。

明日への準備完了。

よしっ。


9月上旬 某祝日  
昼に起きたらテーブルの上に空の発泡スチロールのカップが二つ。

「カップヌードル カレー味」
「カップヌードル シーフード味」

・・・

よみがえる記憶。

確かにほとんどなんも喰わずに呑んだ。

呑んだには呑んだ。しかも久々に吐いた。

腹が減ってたのも分かる。

這うようにして帰ってきたのも覚えてる。


思わず部屋に誰か連れて帰ってきてへんか見回す。


・・・もちろん自分以外誰もおらんくて。


・・・そっか。


・・・喰ったか。


一人で夜中にカップヌードル2つ。


どうりでお腹ぽっこり。

9月上旬 某平日  


「 今、最低で最強。」


こころなんてこころもちひとつなんやなぁと。

今まで怖かったものが、全く怖くなくなって。

先が見えないことが、怖さではなく楽しみでしかなくなって。

無償で愛されていることが分かれば、一人は独りではなくて。

今まで焦ってた何かが、粉砕されるように消えていって。


変わられへんから、このままで。


でも、たぶんまだもっと登れるなぁと。


そんなふうに思ったりする、ほろ酔いの秋の夜長。

はよ寝よ。

今日も、もう3時や・・・。


9月上旬 某休日  
筋肉痛が痛くて動けません。

9月上旬 某休日  

奥穂高岳(3,190m)登頂。


金曜日、酒も呑まずに24時半にウチを出発。
(※クルマなんで当たり前やけど)

徹夜で沢渡に到着、1時間窮屈な車内で仮眠、

6時にタロウとタニロと合流し、沢渡から上高地にバスで移動。

雨がしとしとと降る中、久々にバックパックを背負い、7時から登る。

カメラ他でバックの重さ約12.5kg・・・重い。

歩くこと約8時間。

久しぶりに重い荷物を背負い、

降り続く雨の中、

一歩一歩足を前に出し、

岩にしがみつき、

汗をかき、

・・・15時になんとか穂高岳山荘到着。

とりあえずビールで乾杯し、仮眠。

晩御飯食べて、カードゲームして、20時半本睡眠。



朝日を頂上で見るために、4時起床、4時15分山小屋出発。

まだ真っ暗な中、ヘッドライトの明かりだけを頼りに岩にしがみつく。

こんな時間から登ってる人もあんまりおらんくて、

ずっと先頭で道を模索しながら進む。

こんなムチャも、このメンバーなら怖くも無く。


が、天候がイマイチなのは、昨日から引き続きで。

奥穂高岳の山頂に到着し、

明るくなってきても一向に霧が晴れることも無くて。

結局朝日は不発で見れず。無念。


けど、 そこから隣の前穂高岳(3.090m)をアタックした頃から

徐々に太陽が照りつけ始める。

上高地に向かって下っている最中、

輪になった虹のような光輪を霧の中に発見。

「ブロッケン現象」っていうらしいんやけど、初体験。

というか、その現象の名前すら初めて聞いた。

まだまだ知らんもんもたくさんあるもんや。


結局、4:15にスタートで、上高地に着いたのが13:15くらいで、

なんだかんだで休憩もたっぷりとったけど、

やっぱり7〜8時間くらいは歩いてて。

かなり疲れた。

いや、ホンマにもう、結構大変で。

ただ、「足」ってよりも、

今回は岩場が多かったせいか、ちょっと手がジンジンした。

本来、「手」ってのはこうやって使うためにある。

そんな風に思えるくらい、いつもはパソコンしか打ってへんなぁと。


ホンマの大自然の中で、びっくりするくらい人はちっぽけで。

「なんでもええわ」

と、明らかに開き直ってこれて。


しかも、なんか、一緒に登った3人が3人とも時期的に妙な時期で。



答えが見けられないときは、答えなんてないときで、
気付けば手にしてたなんてよくある話・・・。
(引用:「アドバルーン」服部祐民子)


無理に見つけようとしても無理やとしても。

そん中でも、自分で頑張って見つけようとせなあかんもんと、

自分で見つけようとしたってどうやっても見つけられんものがあって、

後者のためにどんだけ頑張っても、やっぱりどうしょーもなくて。

だったら、前者をやってくしかないんやと。


前向きやろうと横向きやろうと後ろ向きやろうと、

どないかして前にちょっとでも進もうとしてくしかないんやと。


そんな答えのない自分らはこれからどないするんやろうかと、

不安になるかと思えばそうでもなく。

多分、楽しく生きていけるんやと思えたりもして。


こんな山登りが自分の中で根っこみたいなものになりつつあって。


そんな「ありがとう」な山登りがあってもええかなと。


9月上旬 休日

 

なぜか突然「福岡」

仲のよい会社で、いきなりの慰安旅行。

金曜定時で羽田に向かい、とりあえず博多中洲「万潮」で
イカ姿造り、ごまさば、シマアジ、マナガツオ・・・etc
で、呑んで食って呑んで食って、中洲屋台ラーメン「一竜」で締める。

翌日は遅めに起きて柳川に行き、1時間くらいの川くだりを、
これまた酒を片手にのんびり下り、蒸篭蒸し(鰻)でまた呑んで、
テンション高いまま大宰府にお参りして、国立九州博物館を見て、
中州に戻って鉄板餃子「鉄なべ」でこれまた餃子、水餃子、鯨、
馬刺し・・・etc って、喰って飲んで、店を移してまた呑んで。

結局東京とやってることはそんなに変わらんような気もせんけれども、
なかなか楽しく部会は幕を閉じ、翌朝三々五々解散となって。

で、みんなが帰ってからが一番楽しい一人旅。

アクロスの伸びまくった屋上緑化を視察して、次に行こうとしてた
アイランドシティへのバスが50分待ちで、いかんせん暑くて暑くて
行こうとしてた意欲が一気に失せ・・・

「え〜い、レンタカーじゃぁ!」

と、いきなりマツダレンタカーでデミオを借りて、
福岡の街を走り始める。

・・・福岡の街というか、 いきなりとりあえず志賀島まで。

天気がめちゃくちゃ良くて。

志賀海神社にお参りした後、島の北西にある休暇村付近の
ビーチ沿いの芝生でバタンキュ〜。

玄界灘の潮の音を聞きながら、ただただ寝る。

ジリジリ肌が焼けていくのも気にもせず。

 

 

 

 

@志賀島
携帯カメラ

しばらく寝てから、また移動。

伊東豊雄設計の「ぐりんぐりん」を見に、アイランドシティへ。

埋立地に出来た、人工ではあるが限りなく自然に近づけた丘。

ただ有機物的な曲面を創ろうとしているだけではなく、
意味のありそうな流線がホントに綺麗に表現できていて。

周囲の環境への溶け込み方もきれいで、これまたその向こうにある
荷積みバースをいかにも自然に隠し、かつ海風を遮ることなく
居住区域に運べるようにもしていて。

公園で遊ぶ子供の声、幸せそうな家族の風景。

池の畔でこれまた昼寝・・・。

なんか、すごい自分らしい時間の使い方。

無駄にも見えるかも知れんけど、すごく無駄やなくて。

こころから落ち着けて。



隣の芝生が本当に青かったとしても、
「その芝生が何故青いかを、隣の住人は分かってない」って、
昔から思ってたけど(青く保つための努力は隣からは見えんから)、
意外と、

「自分の芝生が青いことも、自分で分かってないんやないか」って。

もう、誰かに何かを言われてしもても、

自分がちっぽけな自分をトコトン肯定したげよう・・・と。

この恵まれた環境を与えられてる自分をシアワセに思ったげようと。

なんとなく肩がスッキリした九州旅行。

やっぱり、自分にもこの土地の血が流れてるせいか。

なんとなく帰ってきた感もあって。

いい場所やなぁって。


   
 

 

<BACK  NEXT>


<HOME