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徒然なるままに(65)
〜 睦月 〜 二千六年
1月29日(日) | |
去年の2月22日に別れたっきり もう付き合うことは当分ないと思ってた。 出会いは突然やってくるもので こんなに早く・・・ 1年も経たないうちに次の相手が見つかるとは思ってもみんかった。 一緒だったらいろんなところに出かけようと思える。 好きな写真もあのコとだったら楽しく撮りにいけると思える。 もう、めんどくさいから家から出たくないなんて言わない。 疲れてても時間がなくても 一緒だったら元気に外に出ようと思える。 一緒のときは恥ずかしい姿を見せないように禁酒する。 友達にだって紹介したいと思える。 実は、親もすでに認めてる。 正月に会ったっきりやけど・・・ 今度のバレンタインデーが終わったら連れ戻しに大阪に行って 一緒に東京で暮らそうと思う。 お金だっていっぱいかかってしまうけど 大阪、奈良、千葉、広島と 転々と落ち着かない生活をしてきたあのコに ちゃんと居場所を作ってあげたいと本気で思う。 これから、ちゃんと付き合っていきます。 末永くよろしくお願いします・・・「ロードスター」
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1月21日(土) | |
カラダのバランス整えようと、ジムに通い始めた。 |
1月16日(月) |
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友人HPで見つけた生年月日占いを。 |
1月15日(日) | |
1月15日(日) | |
忘れぬうちに書いておこう。 |
1月14日(土) | |
体調不良の雨の休日。 漫喫⇒写真屋⇒TUTAYA⇒本屋⇒クリーニング屋⇒スーパー⇒ケーキ屋・・・ |
1月12日(木) | |
最近、仕事がひと段落したおかげで、早く帰れるようになった。 |
1月11日(金) | |
宗教は方法論発言の追記。 「深い河:遠藤周作著」読みつつガンガーへ向かったせいか、妙に宗教について、神って存在について考えてた。結局のところ、宗教ってのは自己との対話(自分が感じ考えることをしっかりと無意識から意識へと引き上げる作業)をスムーズに行うための方法論に過ぎんのちゃうかなと。 答えは自分が導き出すもので、そのやり方のひとつとして、祈りがあったり、修行があったり懺悔があったり瞑想する時間がするるだけであって、聖書・お経・コーランなどの教義や禁忌や規律や瞑想ってのが存在するのは、結局のところ自己対話をスムーズに行うための媒介としての存在に過ぎんのやないか・・・神って存在自体ですらそのための媒介に過ぎんのでは・・・とかとか。 そう考えると、宗教を基軸にした対立なんてもんは A「俺はこうやったほうがちゃんと物事を考えやすいねん」 B「俺はちゃうで。こうやった方が考えやすいねん」 A「そんなら俺なんかこうやったら考えやすかったで」 B「そんなんオッケーやったら俺なんかこうやで」 A「それさっき俺ががつこたやつやんっ!どけっ! 俺なんかこうやってこうやってなぁ・・・」 って、笑い飯の漫才に近いレベルでその方法論の喧嘩をしてるだけなんかもしれんな・・・と、思えて少し面白かった。 だから、有神論者と無神論者に違いなんか本当は無くて、ちゃんと落ち着いて自分のこと、自分の周りのこと、それよりもっと大きなことも少し、考える時間をちゃんともってれば良いだけなんやないかと。旅でも趣味を通してでも、ちょっと落ち着いて考える時間を持つだけで、もしかしたら効果は一緒かも・・・とか。 要は解釈の仕方だけなんやけど、方法論ってとり方すればこんな感じかなと。 |
1月9日(月) | |
ただいま〜。 |
1月1日(日) | |
いろいろあった2005年も無事に終わり、 今回の旅のお供は、いつものように またちょくちょく旅先からも書き込みできたらよいな・・・とは とりあえずあと数時間後には出発。 行ってきます!! 本年もこのHPともどもよろしくお願い申し上げます。 |
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