2001年3月7日(水)  

クアラルンプール駅
6日、pm9:00K.L.発バタワース行き。待ち時間も残り1時間となり、ホームの写真も一通り撮ったのでボーっとしてると一人の日本人が話し掛けてくる。坊主頭で屈強な体を持ったその彼も同じ列車を待っている。車両が違うので「ついたらまた会おう」と言い残してお互い自分のベットをさがす・・・が、ベットが無かったりするんよね。やっとのことで自分の番号ところまで行ったところそこは寝台車ではなくシート席。『チケット買う時、ちゃんとおねえちゃんに通じたと思ったのになぁ』と思いながらも、この出発間際になってしまってはどうしようもなく、ヘトヘトに疲れた体をシートに預け、10時間の移動をやり過ごす。「荷物を放り出し、ベッドに体をあずけて横になって泥のように眠りたい・・・頭の中はそんなことばかり考えていた。初日のベッド以来、風呂にも入れず寝台車とシートで夜を明かす日々。正直そろそろ精神の限界にきてる。たった3日、されど3日。何もかもが初めてで、日本語もほとんど使えない。泣き言も言いたい時期。



バタワースに着き、彼(智宏)とペナン行きのフェリーに乗り替える。仕入れの荷物を抱えたおばさんやでっかいボストンバックを抱えたおっちゃん・・・この人たちもK.L.からマレー鉄道に揺られてきたんやろう。徐々に近づくペナン島。岸では女子高生やサラリーマンが船の到着を待っている。この船はフェリーというよりは渡し舟のようなものなんやろうか。かなり臭う通りを抜け(たいがいの土地において着いてすぐは鼻が慣れていないためちょっと臭く感じる。すぐに慣れるもんやけど)軽く朝飯を食べることにする。この日の朝食はインドカレーとチャイ。このチャイが疲れた体にスーっと染み込むようにうまかった。1杯分づつミルクを火にかけ、それに数種類の粉を入れる。それをもう1つのカップに高い地点より注ぐ。それを何回か繰り返すことでよく混ざり、独特の軽さ(泡)をだすんやと思う。ついつい2人とも2杯づつ飲んでしまった。あつーいチャイをガラスのコップに入れて出してくれる。割れそうだがあんまり気にしてないようだ。


これがシャワー室兼トイレ

さて、腹ごしらえも終わり、次は宿。何にも考えてなかったため智宏が決めていた安宿を一度見てみることにした。その名も「スイス・ホテル」。1階入り口がオープンテラスになっていて天井が高く、全体がタイル張りで、一目惚れ。しかもツインにすると一人15RM(約900円)。迷わず智宏と部屋をシェアする。天井にはファンが回っていて、トイレ兼シャワーが一つ付いている。それにベッドといすが2つづつ。天井が高い分、外は熱いのに中はひんやりとしていて風通しがよく疲れた体を休めるには最高の安宿だった。通りから少し入ったこのスイスホテルの中だけが周囲より時が1/2のスピードで流れているような奇妙な錯覚におちいる。3日ぶりのシャワーを浴び、一階でHOTミルクティーを飲みつつ体を休める。しばらくボーっとしてると何人か日本人が集まってくる。それがスイスホテル。



絵かきのおじさん
その中でも今日ペナンに到着して、まだぜんぜん観光してない3人で一緒に行動することになる。人と一緒だと行動力も出てくる。タクシーをつかまえて交渉し、ペナン中のめぼしい観光地を回ってくれるよう格安でお願いする。タクシー代(案内料込み)も3分割すれば貧乏旅行者にも手が出る。この運転手、アルバート・コーンさんがまた良い人で、とてもわかりやすい英語とともに観光案内してくれた。リクライニング・ブッダ、極楽寺、ペナンヒルロープウェイを回って帰ってくる。そこらのオプショナルツアーに参加するよりもよっぽど楽しかった。なにより重い荷物を宿に置いてこれたことで肉体的にも精神的にもとても楽だった。ホテルに帰り、もう一人加えて晩飯に行く。なぜかペナンにはインド料理やが多い。今日のディナーはカレー。異常に愛想の良い店員に逐一説明してもらいながらみんなで食べる夕飯。心の底から疲れきっていた自分に久々の平穏が訪れた。その
夜はテラスでみんな語り合いながら夜を過ごす。



旅はおもしろい。昨日会ったばかりのやつがもう何年も一緒にいるように感じる。通常の生活では何年もかけて繰り返す出会いと別れを、旅においては数時間から数日でやってしまう。そして、いつもの生活では出会うことのない立場の人とも出会う。密度の濃い時間。旅が好きになり始めている。